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vol.6「気になるNGO入門」


6月17日、原宿カフェ・デ・プレで開かれたBeGood Cafe Vol.6。
# 「日本フォスタープラン協会」の安河内さん、「アムネスティ・インターナショナル日本支部」の石川さん、「グリーンピーZ3年生が卒業するときに「卒業記念に何かもらうよりは学校を作りたい」と申し出てくれて、何とか実現させようと進めていったのですが、それが3つめの事例です。
それから、世田谷の日大桜丘高校では学園祭でバザーを開くのですが、収益金を有効に使える方法はないか、と生徒から相談を受け、「自分たちもぜひ、そういう学校を作ってみたい」ということで、風化してつぶれかかった学校を再生する形で、35万円ほどで作りました。日大桜丘高校では毎年バザーを開いていますので、毎年、1、2校ずつ学校を作っている感じです。
別に学校をつくるだけではないのですが、市民の人たちが身近なところで何かできることはないか、と、賢く、上手な援助をしていければ、と思っております。


シキタ:ありがとうございました。「世田谷ボランティア協会」の山崎さんでした。
次は「日本緊急援助隊」の伊藤えりかさんです。


●日本緊急援助隊●
(http://jhelp.com/jet/index.html)

# 皆さんこんばんわ。伊藤えりかです。はじめまして。
私は聖路加看護大学の3年生ですが、先月10日間ほど、今アルバニア、コソボの紛争で難民が多く来ているアルバニアにボランティアに行ってきた一学生としてここでお話しさせていただきたいと思います。

『日本緊急援助隊』というのはアガペというNGOのブランチみたいな形で活動を行っています。
1989年、今から10年前にロサンゼルス地震が起こりましたが、その時に代表のケン・ジョセフさんが中央大学で講演会を行いました。彼はその講演会の最後に、突然「ロサンゼルス地震が起こりました。緊急援助隊としてボランティアで行く方を募集します。」とおっしゃり、その場で手を上げた38人の方がそのままそっくりロスへ送られて、そこから緊急援助隊が始まりました。
災害地に送った緊急援助隊としては、日本で初めての活動でした。それから10年間、今回のアルバニアのキャンプが46回目です。
阪神大震災などの国内の活動もやっていて、去年の夏はパプアニューギニアの津波、今年に入ってはコロンビア地震などで活動しているところです。

私は今回アルバニアに行ったのが初めての援助でした。
まず、日本で集めた物資を持っていくことが非常に大変なことなんだな、と感じました。なぜかというと、どこでもお金を取られるんですね。例えば日本のホテルから空港に行くまでのバスですが、乗るときに2人だったのですが3人分のチャージを取られそうになったり、空港でも「オーバーチャージだ」と言われてすごいお金を取られそうになりました。「私たちは物資を難民のために持って行くので、お金をとられてしまったら意味がないのです」と闘いながら行きました。

現地へは、何か自分でできることがあったら役に立ちたい、という思いで行ったのですが、いざ行ってみると難民の人に教えられることが多かったです。例えば、ある難民キャンプで「中国人だったら出て行け」と言われ、「私は日本から来ました。中国人だったらなぜ出ていかなくてはならないのですか?」と聞いたら、「NATOの空爆に反対しているのは中国だけだからだ。そういう人たちにこのキャンプに入ってほしくない」と言われたのです。「ああ、自分は日本人なんだな」と、今までは日本にいたら自分が日本人だなんて考えたこともなかった。すごく教えられました。
難民の人に「日本は広島、長崎に原爆を落とされたが、一から立ち直って今のような経済大国になった。コソボで今空爆が起きて、何も無くなったけれど、私たちもまた一から立ち上がって日本のような平和な国を作りたい」と言われて、日本という国は世界でそのように認識されてるんだ、と初めて思いました。アルバニアに行ったことで、コソボのことがすごく身近な自分の世界の中に入ってきましたが、「日本の国」ということにも気付かされて、この平和な国だからこそできることがいっぱいあるのではないか、と思いました。

やはり世界には、日本もそうですけれど、どうしようもなく弱者がいる。自分は何も罪は犯していないのに、その民族だということだけで差別されているような立場の人がいるんだ、ということをすごく教えられました。
悲惨な目に遭った人たちだからすごく悲しんでいるのではないか、とか、暗く下を向いて泣いているんじゃないか、というイメージを持って行ったのですが、実際はすごく明るくてユーモアがあって前向きで、「これから頑張っていくぞ」という人間の力強さ、生きる強さを凄く感じました。そういうことをいろいろ学べたこのボランティア活動、すごくいい経験をさせてもらったと思っています。

「自分ができることは何だろう」ってすごく考えたんです。今日は、学生でもできること、普通の人でもできることを一人でも多くの人に伝えたいなぁと思って来ました。
別にお金が無くてもいいと思うんです。時間が無くてもいいんです。この世界で起こっている、弱い立場の人のことを知るとか、世界で起こっていることを新聞で読むとか、ちょっとでもいい、知って、そして少しずつでも平和な世界にしていこうという気持ちを皆が持てば、世の中が変わっていくのではないか、と難民の人に教えられました。

今度また緊急援助隊でボランティアを出しますし、物資も受け付けています。寄付金も受け付けています。
活動したい、知りたい、かかわりたいという方は、どんな方でも受け付けていますので、ちょっと勇気を振りしぼってぜひご連絡ください。


シキタ:ありがとうございました。「日本緊急援助隊」の伊藤えりかさんでした。
私から見るとまだお若いのに立派だなと思います。何が立派かというと、伊藤さんもおっしゃっていたけれど、自分たちが何かしてあげられる、というんじゃなくて、その行為の中で私たちの方が何かを学べるんだ、たぶんェ、ある国では人が集まり、団体がアピール活動しているだけで警官が入ってきてみなさんを逮捕してしまう、主催者を逮捕してしまう、そんな国がいくらでもあるわけです。そういったことが世の中にまだあるんだ、ということをぜひ知ってほしいと思います。
そのひとつが6月4日に10周年を迎えた天安門事件です。あの事件で捕まった人がいます。いまだに10年という歳月を牢獄で過ごしている人がいます。あるいは虐殺という形で殺された人もいます。世の中には、そういったところに敢えて出ていって自由を求める、民主化を求める、そういった危険を冒してまでやらなければいけない人たちがいるんですよね。
では、そういう危険を冒して、そういった活動をしている人たちに対して僕たちは何ができるんでしょうか?この日本の社会から何ができるんでしょうか?

ひとつの例を言いたいと思います。
チリのピノチェト政権下では人権抑圧政権をとっていました。その時に、いわゆる政府にタテつくやつは全部殺してしまう、ということで3,000件にも及ぶ殺害事件がありました。そういったものが終わりかけたときにロックコンサートが開かれました。そこで歌ったのがスティングです。
みなさんご存じのスティングが『孤独なダンス』という有名な歌を歌いました。この歌はピノチェト政権下で殺害された、あるいはいなくなってしまった父親や兄や息子を思いながら、ひとりで踊らなくてはならない母親のことを歌った歌です。「孤独なダンス ピノチェトさん 聞いて もう武器を買うのをやめて あなたのお母さんがひとりで踊っているところを想像してごらん」とスティングは歌いました。その後スティングはいろいろなところにコンサートに行くたびに、チリから来ている人たちに声をかけられてこう言われたそうです。これはスティングの言葉ですが、「最近演奏旅行に行く都市で僕はチリの人々に会う。その誰もが僕に同じことを言う。“あの歌を書いてくれてありがとう。あの歌を歌ってくれてありがとう。何がチリで起こったのか覚えていてくれてありがとう。チリでいまだに起こっていることを世界中に知らせてくれてありがとう”」と。

もう1つの事例を言いましょう。これはナイジェリアのケースです。
ナイジェリアはやはり軍事政権の国なのですが、クリスアニャウーさんという人が1995年に軍事政権に批判する記事を新聞に書いた。それだけで15年の刑を宣告されてしまったんです。アムネスティは、ただ自分の意見を言っただけで捕まってしまうことは基本的人権に反する、と、世界中の会員でその人を釈放する手紙を書きました。それから3年後、彼女は自由の身になりました。
彼女はアムネスティにお礼の手紙をくれました。「アムネスティの努力によって世界中の人々からの葉書の束が届き、小さな独房の床にその葉書を、そして封筒を絨毯のように敷きつめました。それ以来私は自分が1人でないことがわかりました。そう考えて最後まで持ちこたえることもできました。私に力と勇気を与えてくれた世界中のアムネスティの会員に感謝します。」突然いわれもなく逮捕されて、突然暗い独房に入れられ、いつ釈放されるともわからない日々。そういう時に見知らぬ遠い国から葉書がきて、「あなた1人じゃないよ、私たちが見守っているよ」という手紙がどれだけ精神的な支えになるか。

アムネスティはこういう活動している団体なんです。今のような話をしてしまうと堅苦しい、人権のことばかり考えている団体だと思われがちなんですが、そうではありません。
昨年は世界人権宣言50周年の年で、それを記念してパリでロックコンサートを開きました。ブルース・スプリングティーン、ピーター・ガブリエル、アラニス・モリセット、そういった人たちが出演し、みんなで「人権が大切だ」と、10万人集まってコンサートをやりました。このビデオは日本コロンビアから出ています。5,000円ぐらいで買えますのでぜひ皆さん買ってください。

そういった一人ひとりができることを一つひとつ始めませんか。
「沈黙する目撃者にはならない」ということを私は皆さんに言いたいと思います。アムネスティの会員になるとニュースレターというものが毎月届きます。中に葉書が入っています。これを書くことによって、あなたも世界の人権侵害を行っている国にNO!というアピールを出すことができます。ぜひ何か、ひとつから始めましょう。
どうもありがとうございました。


●グリーンピース・ジャパン●
(http://www.nets.ne.jp/GREENPEACE/)

# 『グリーンピース・ジャパン』の事務局長をしております、志田早苗です。よろしくお願いいたします。

グリーンピースという団体、皆さん名前は聞いたことあるんじゃないかと思いますが、名前の通り「グリーンでピースフルな社会を目指そう、緑豊かで平和な社会をつくろう」という人が集まってできた団体です。
1971年にベトナム戦争の最中、反戦平和運動が盛んだったころにアメリカの核実験に反対する運動から生まれました。このときアメリカの核実験がアラスカの沖で行われており、これに対してカナダの人たちが非常に怒りました。彼らはオンボロ船をチャーターして、核実験を止めたいという気持ちで核実験場の方に向かったんですが、実験は行われてしまいました。
けれども彼らの行為が、カナダ、そしてアメリカの本土で非常に大きな話題となり、反核運動、反核実験運動が盛り上がりました。その結果、翌年にその核実験場が閉鎖になり、ここでグリーンピースとしての初めての行動と大きな成果があったわけです。

このようにグリーンピースというのは、環境破壊が行われている現場に直接赴き、そしてそこで必要があれば体を張って抗議をする、また、その現場で何が起こっているかをしっかり見て、それを広く世界に伝えるということが活動の基本です。
グリーンピースでは『ベアリングウィットネス』と言っていますが、生き証人になる、その現場に行って実際見たことを伝える、それが見た者の責任である、と私たちは思っています。そういった形で環境破壊の現場を告発し続けてきました。

けれども、いつも「反対、反対」という抗議行動だけをしていたのでは変わりません。一方で地道な活動もしています。いろいろな環境破壊の調査、分析、それから代替案の提示です。
例えば塩ビ製のおもちゃですね。こういったおもちゃには有害物質が入っているのですが、それがどのくらい入っていて、どのようにして溶け出し、何が悪いのか、ということを調査します。そして、それを各メディア、政策決定者、政治家や行政、企業の方に提出して、これをやめていこうという説得をします。
「直接行動する、アクションする」ということと「リサーチ・調査分析から代替案の提示」というものが活動の2つの輪となってグリーンピースは動いています。

今、日本を含めて26の国に支部がありますが、グリーンピースは地球規模で動いています。日本という国は残念ながら、環境の面で悪いことをしている場合が非常に多いんですね。日本の中から日本の政府、日本の企業産業界をより環境にいい方向に動かすように働きかけをしています。
私自身、グリーンピース・ジャパンに9年間おりますが、何が面白いかというと、グリーンピースというのはやはり行動する団体である、ということです。いつも何かが動いている、という感じがしています。自分自身がその場にいなくても、どこかで誰かが動いている。そういった動いているということを常に感じることができる。そして、そのグリーンピースに参加することで自らが行動する主体になれる、というのが私にとってグリーンピースにすごく魅力を感じるところです。

先ほどの東京おもちゃショーの件(塩ビ製のおもちゃ)ですが、これは東京ビックサイトというところでアピール活動を行いました。そこで横断幕を掲げたということだけで3人のボランティアが逮捕されてしまいました。警察の方がこういう異常なリアクションを起こしたということについては、グリーンピースの中でも非常な驚きをもって迎えられました。
その時はずいぶんアムネスティさんにもお世話になりましたが、このような「表現をすることの自由」が日本ではまだまだ本当に少ない、ということを私たちも痛感しました。その3人ともいろいろなアクションを各地でやっていた人なのですが、逮捕されてなおかつ12日間という長い間拘留されていたんですね。警察の留置場に入れられてしまった。「表現の自由」というものがこういう形で弾圧されることについては、日本での人権への意識の低さを世界にまたあらわしてしまった、と思います。
しかし、このアクションがきっかけになって、塩ビのおもちゃについてはずいぶんと進歩がありました。例えば、がん具メーカーがこの問題を、消費者の方たちがすごく懸念している、と真剣にとらえてくださるようになり、今3歳児以下のおもちゃに対しては塩ビを使わない、という方針を取るところも増えてきました。

このように少しずつ変わってはきていますが、しかし、まだまだ日本の社会においては表現することが難しい社会だな、ということはあります。グリーンピースは、でも、やはり行動する団体です。
頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。


シキタ:ありがとうございました。
次は「世田谷ボランティア協会」の山崎さんにお話しを伺います。


●世田谷ボランティア協会●
(http://www.setagaya.net/setagaya/vol/index.html)

# 『世田谷ボランティア協会』は世田谷区の小田急線、千歳船橋というところに事務所があります。実は私が直接NGOの活動しているわけではなく、そういった活動をしたい人たちをサポートしてます。
簡単に申し上げますと、ひとつはボランティア活動をしたいという人たちの相談。もうひとつはボランティアに関する情報が欲しいと思っている方への情報提供です。また、NGOや海外協力などに関心があるがどうしたらいいのか、ということに対して相談に応じている組織でございます。世田谷区民でないと対応しないという狭い心ではありませんので、機会があったらぜひ訪ねていただきたいと思います。

私自身はネパールという国との関わりが深くありまして、その中から「身近なところからでも何かができる」ということをみなさんにお話をさせて頂きたいと思います。
1988年に山を見に行ったときにガイドをしてくれた方との出会いがネパールとのそもそもの関わりです。ガイドをしてくれたそのシェルパ族の方に「私の村には水道も学校もないので作って貰えませんか。そのためにぜひ私の村に来てもらえませんか」と言われ、首都カトマンズから北東部の方に車で4時間ぐらいの標高1,800メートルくらいのところに案内されました。「標高差500メートルぐらい下って行かないと学校がない。ぜひつくってほしい」と言われたところからスタートしております。

当時、世田谷区立希望丘中学校の保健委員会のメンバーたちが、その活動の中で美化運動をしていました。「ゴミの中でも使えるものがある」「もっと有効に使えるゴミがある」と感じていて、アルミ缶を集めてネパールに学校を贈ろう、というその話に生徒と教員が非常にのってくれました。そして、地域の自治会や地元企業に呼びかけてアルミ缶の回収を始めました。
それから2年ほど経ち、1991年になるんですが、当時の生徒たちは高校2年生、3年生になってましたが、一緒に18人ぐらいでツアーを組み、学校をつくる資金を届けにそのネパールの村まで行きました。学校の建設資金は55万くらいでした。

ひとつの出会いとしてそんなことがあり、また、マスコミが取り上げたりしたものですから、次から次へと依頼がくるようになりました。企業に勤める人たちから、自分の会社の労働組合や社員の人たちに呼びかけて、バザーでお中元やお歳暮でもらったものを販売し、自分たちもその収益金で学校を建てたい、という依頼を受け、1994年にネパールの東北部に学校を作っています。
しかし、このあたりから全額援助というかたちをやめました。やはり村の人たちが、いくらでもいいからお金を集め、足らない部分を出しましょう、ということでないと、いつまでたっても「お金は援助してくれるものだ」ということになってしまい、彼ら自身のものにならないことに私たちも気づき始めたのです。

最近では、板橋の都立北園高校で357人の高校3年生が卒業するときに「卒業記念に何かもらうよりは学校を作りたい」と申し出てくれて、何とか実現させようと進めていったのですが、それが3つめの事例です。
それから、世田谷の日大桜丘高校では学園祭でバザーを開くのですが、収益金を有効に使える方法はないか、と生徒から相談を受け、「自分たちもぜひ、そういう学校を作ってみたい」ということで、風化してつぶれかかった学校を再生する形で、35万円ほどで作りました。日大桜丘高校では毎年バザーを開いていますので、毎年、1、2校ずつ学校を作っている感じです。
別に学校をつくるだけではないのですが、市民の人たちが身近なところで何かできることはないか、と、賢く、上手な援助をしていければ、と思っております。


シキタ:ありがとうございました。「世田谷ボランティア協会」の山崎さんでした。
次は「日本緊急援助隊」の伊藤えりかさんです。


●日本緊急援助隊●
(http://jhelp.com/jet/index.html)

# 皆さんこんばんわ。伊藤えりかです。はじめまして。
私は聖路加看護大学の3年生ですが、先月10日間ほど、今アルバニア、コソボの紛争で難民が多く来ているアルバニアにボランティアに行ってきた一学生としてここでお話しさせていただきたいと思います。

『日本緊急援助隊』というのはアガペというNGOのブランチみたいな形で活動を行っています。
1989年、今から10年前にロサンゼルス地震が起こりましたが、その時に代表のケン・ジョセフさんが中央大学で講演会を行いました。彼はその講演会の最後に、突然「ロサンゼルス地震が起こりました。緊急援助隊としてボランティアで行く方を募集します。」とおっしゃり、その場で手を上げた38人の方がそのままそっくりロスへ送られて、そこから緊急援助隊が始まりました。
災害地に送った緊急援助隊としては、日本で初めての活動でした。それから10年間、今回のアルバニアのキャンプが46回目です。
阪神大震災などの国内の活動もやっていて、去年の夏はパプアニューギニアの津波、今年に入ってはコロンビア地震などで活動しているところです。

私は今回アルバニアに行ったのが初めての援助でした。
まず、日本で集めた物資を持っていくことが非常に大変なことなんだな、と感じました。なぜかというと、どこでもお金を取られるんですね。例えば日本のホテルから空港に行くまでのバスですが、乗るときに2人だったのですが3人分のチャージを取られそうになったり、空港でも「オーバーチャージだ」と言われてすごいお金を取られそうになりました。「私たちは物資を難民のために持って行くので、お金をとられてしまったら意味がないのです」と闘いながら行きました。

現地へは、何か自分でできることがあったら役に立ちたい、という思いで行ったのですが、いざ行ってみると難民の人に教えられることが多かったです。例えば、ある難民キャンプで「中国人だったら出て行け」と言われ、「私は日本から来ました。中国人だったらなぜ出ていかなくてはならないのですか?」と聞いたら、「NATOの空爆に反対しているのは中国だけだからだ。そういう人たちにこのキャンプに入ってほしくない」と言われたのです。「ああ、自分は日本人なんだな」と、今までは日本にいたら自分が日本人だなんて考えたこともなかった。すごく教えられました。
難民の人に「日本は広島、長崎に原爆を落とされたが、一から立ち直って今のような経済大国になった。コソボで今空爆が起きて、何も無くなったけれど、私たちもまた一から立ち上がって日本のような平和な国を作りたい」と言われて、日本という国は世界でそのように認識されてるんだ、と初めて思いました。アルバニアに行ったことで、コソボのことがすごく身近な自分の世界の中に入ってきましたが、「日本の国」ということにも気付かされて、この平和な国だからこそできることがいっぱいあるのではないか、と思いました。

やはり世界には、日本もそうですけれど、どうしようもなく弱者がいる。自分は何も罪は犯していないのに、その民族だということだけで差別されているような立場の人がいるんだ、ということをすごく教えられました。
悲惨な目に遭った人たちだからすごく悲しんでいるのではないか、とか、暗く下を向いて泣いているんじゃないか、というイメージを持って行ったのですが、実際はすごく明るくてユーモアがあって前向きで、「これから頑張っていくぞ」という人間の力強さ、生きる強さを凄く感じました。そういうことをいろいろ学べたこのボランティア活動、すごくいい経験をさせてもらったと思っています。

「自分ができることは何だろう」ってすごく考えたんです。今日は、学生でもできること、普通の人でもできることを一人でも多くの人に伝えたいなぁと思って来ました。
別にお金が無くてもいいと思うんです。時間が無くてもいいんです。この世界で起こっている、弱い立場の人のことを知るとか、世界で起こっていることを新聞で読むとか、ちょっとでもいい、知って、そして少しずつでも平和な世界にしていこうという気持ちを皆が持てば、世の中が変わっていくのではないか、と難民の人に教えられました。

今度また緊急援助隊でボランティアを出しますし、物資も受け付けています。寄付金も受け付けています。
活動したい、知りたい、かかわりたいという方は、どんな方でも受け付けていますので、ちょっと勇気を振りしぼってぜひご連絡ください。


シキタ:ありがとうございました。「日本緊急援助隊」の伊藤えりかさんでした。
私から見るとまだお若いのに立派だなと思います。何が立派かというと、伊藤さんもおっしゃっていたけれど、自分たちが何かしてあげられる、というんじゃなくて、その行為の中で私たちの方が何かを学べるんだ、たぶんそれが本質なんじゃないかなと思います。いい言葉だったと思います。









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【関連リンク】

財団法人日本フォスタープラン協会
  (http://www.jca.ax.apc.org/fplan/)
アムネスティ・インターナショナル日本支部
  (http://www.amnesty.or.jp/)
グリーンピース・ジャパン
  (http://www.nets.ne.jp/GREENPEACE/)
世田谷ボランティア協会
  (http://www.setagaya.net/setagaya/vol/index.html)
日本緊急援助隊
  (http://jhelp.com/jet/index.html)

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